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実家の庭そうじ

今日は朝から実家の庭そうじ。

父と母が長年仕事でお世話になっていた方が

毎年手入れをしに来て下さいます。

 

実家に行く用事がなくなり、

もう長く出向いていませんでした。

裏口はクモの巣まみれ(>_<)

庭はジャングル。

裏には黒猫が住み着いていた?みたい…。

ひえ~~~~~~。

 

例年昼過ぎには終わるのに、

今日は15時前までかかり、

私はエアコンつけてひと眠りしていました。

 

こころばかりのお礼はしていますが、

ほんとうにありがたい限りです。

 

で、終わってからお買い物に行こうと思い、

時計屋さんに電話。

「大坂なおみがつけていたシチズンの時計ってありますか?」

 

「入荷予定は来年の2月です」

「お取り置きしておきましょうか?」

 

そか~~~~。

だよね~~~。

大坂なおみフィーバーはまだまだ続くよなぁ…。

 

 

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ティータイム

旧来の友人と久しぶりのティータイム。

 

「園だより」に書いた平成29年度モニタリングの最後の評価。

 ・決めることが苦手

 ・結論を先送りにする

 ・言わなければならない時に言わない

 

「これって別に悪いことじゃないのにな…と思った」

と言ってもらって、

「そうなんか…」とものすごく新鮮な気持ちになりました。

 

久しぶりに話を聞いてもらって、

とてもいい時間でした。

ありがとう。


 

 

送別会

今日は総務課主任の送別会。

17年間勤められました。

施設長になってから、身近にいろいろなことを教えてもらって、

ときに愚痴を聞いてもらって、

頼りにしていました。

淋しくなります。

 

 

いいことあった??

久しぶりに富士山見えた!

いいことあるかな?



会議で初めてお出会いする方がおられたので、

カバンから名刺入れを探す。

探す。

探す。

探す。

ない。

ない。

ない。

ひえ~~~~~。ほんまにないやん!!!

 

新幹線に乗る前にコンビニで買い物して、

名刺入れからセブンカードを出したのが最後。

 

コンビニ2軒に電話して、

忘れ物センターに届けたことを聞いて、

忘れ物センターに電話して、

届いていることを確認して、

会議が終わってからどこにも寄らずにダッシュで帰宅!

 

ギリギリ間に合って、名刺入れは私の手元に戻って来ました。

 

あ~~~、富士山見えて、いいことあった♪

…かな。

 

 

あ~成年後見制度

今日も一日中よく降りました。

 

午後から職場へ行って、

保護者が運営している成年後見制度のNPO法人のお手伝い。

軌道に乗るにはあと一息…かな。

 

支援費制度が始まり、

「本人または法定後見人としか契約しない」

という方針を出してからもう15年。

当時は親族後見人がほとんどでしたが、

今では第三者後見人は社会福祉士4名、司法書士3名、弁護士1名、法人後見5名です。

 

お金を管理するだけなら貸金庫があるし、

施設入所をしている場合、身上監護は施設がやるし、

さて、成年後見人はどうあったらいいのでしょうね。

 

1ヶ月の費用の中でかなりの割合を占める後見報酬。

 

さて、成年後見人は力強い味方になったでしょうか。




ハンセン病療養所の世界遺産登録を実現しよう!

今日は地元の障がい者問題懇話会の講演会に行きました。

「ハンセン病回復者の生きたアカシをカタチで遺す

~なぜ世界遺産を目指すのか~」

 

講師の中尾伸治さんは長島愛生園に入所して70年。

講演の最後のメッセージは

「他の病気でも差別をすることのないように

終生隔離ということがないようにしてほしい」

「ハンセン病を忌み嫌うようにもっていったのは

国かもしれないし、みなさんだったのかもしれない」

「このようなことのないよう

みなさんで考えていただきたい」

 

初めて長島愛生園へ行ったとき、

「差別をつくるのは私たち自身なのだ」と気づき、

涙が止まらなかったことを思い出しました。

 

利用者さんもたくさん参加してくれたので、

引率で職員もたくさん参加することが出来ました。

 

「ハンセン病療養所の世界遺産登録を実現しよう!」に

ふるさと納税をしました。

初めてのふるさと納税です。



世話人会議

台風の次は地震!!

異常気象…もういい加減にしてほしいなぁ…。

これ以上被害が広がりませんように。

 

今日は世話人会議がありました。 

前半は虐待防止研修でした。

出席者は17人!

合宿をしてはどうだろう?と思うくらい

途切れることなく、たくさんの意見が出ていました。

 

障害が重い人もグループホームでの生活を!

と言われていますが、

うちは先行した実践をしていると思います。

その分、悩みは尽きません。

 

会議の仕切りは中堅の4人(10年選手)が役割分担。

とても頼もしかったです。



サービス担当者会議

台風21号は各地に大きな被害をもたらしました。

さいわい、こちらは大丈夫でした。

私は天候へのセンサーがちょっと弱いようです。

 

さて、今日はサービス担当者会議。

利用者の方とお出会いするのは1年半ぶりでしたが、

全然違和感なく、迎えていただきました。

あ~~良かった。

 

相談員の過重労働をどう減らしていくか…。

手を抜くか、数を減らすかしかないやんなぁ。

究極の?選択。

状況は昔と全然変わってないもんなぁ。

 




隔離したまま国民が忘れてしまった

「人間回復」の思いを未来に

~過去、現在そして世界遺産へ~

邑久長島大橋架橋30周年記念シンポジウム

へ行って来ました。



・「国家に勝っても勝った気はせんなぁ」

・「わしが死んだことになっとるとみんなが幸せになる」

・国家権力と国民の無関心が問題


〇石田さん(当事者)

・72年、辛いことの多い72年だった。

・うれしい出来事は昭和33年に厚生省が軽快対象基準を設けたこと。

・社会復帰への門戸が開かれ、いろいろな講習に取り組んだ。

・閉鎖的な療養所に新しい風が吹き込んできた。

・しかし社会との交流は進まなかった。

・海の壁に隔てられ、物理的にも心理的にも社会との交流はままならなかった。

・社会との交流を進めて行くためには「架け橋」が必要、ということになった。

〇山本さん(当事者)

・京都大学で診断を受け、昭和35年に入所した。

・京都大学では治療が実費負担だったので、経済的理由から療養所に入所した。

・2つの団体がワークキャンプに入っていた。

・当時は15畳の部屋に5~6人が入居していた。

・昭和44年に5:30~21:00、船が使えるようになった。

・昭和45年から架橋運動が始まり、47年から2つの療養所が合同で運動を始めた。

〇服部さん(療養所内の金融機関に勤務)

・ハンセン氏病は感染力が強いとされていたため、療養所開設は極秘で進められていた。

・昭和45年まではその地域に住んでいるだけで偏見や差別を受けた。

・療養所で働く職員の子供たちも差別を受けていた。

・週2回、仕事で島へ行っていた。お金は島外へ持ち出す時、消毒していた。

・ふれあいを通して理解しあえる人間関係が出来た。

〇佐藤さん(高校生)

・高校でハンセン氏病について学んでいる。

・当時療養所内に新良田教室(高校の分校)があった。

・職員室には入室禁止。入口にあるベルで先生を呼んでいた。

・プリントや教科書はすべて消毒されていた。

・先生たちは帽子やマスク、長靴で感染予防をしていた。

・事実を語り継ぐ必要がある。語り部にはなれないが、語り継ぐことは出来る。


いいシンポジウムだったな~~~。

「一番大きな罪は隔離したまま国民が忘れてしまったこと」

という一言が一番心に響きました。


障害者福祉にもつながります。


語り継がなければなりません。




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sanji

Author:sanji
こんにちは。sanjiです。
知的障害者福祉について考えたことあれこれを書いていきます。
よろしくお願いします。

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